学園生活恋せよ乙女っv ガーディアンズは大・変・だっ!

小説・ファンタシースターユニバース Episode2 こちらグラール学園! 1年B組ガーディアンズ科

20th universe そして、あたしたちの夏はまだまだ続く

 それから、約一ヶ月の時間が過ぎた八月末の土曜日のことであった。
 パルム西地区の大通りで、一人の女性が立っていた。
 タイトスカートにキャミソールとパンプスを合わせており、強調された豊満なバストと惜しげもなくさらされた太腿が、健康的な色気をこれでもかと放出している。その褐色の肌に溶け込むように大きなサングラスをかけており、わずかに汗ばんだ額と合わせてミステリアスな色気を醸し出す。長い灰桜色の髪を肩より少し長く伸ばしており、その間からはビーストらしい大きな耳が覗いていた。
「こんにちは。お姉さん何してるの?」
 ライダースを羽織った華奢な男が、彼女に声をかけた。その後ろにはにやにやと薄笑いを浮かべた男性があと二人、それを見守っている。
 女性はそれに気づいて、読んでいた本から顔を上げると、
「あの……人を待ってるんで」
 と、静かに答えた。
「それって、女友達? だったらその子も連れて一緒に遊びに行こうよ」
 男は女性の右手首を掴んで、ぐいと引っ張る。だが――女性はそれにまったく動かない。ただそこに普通に立っているように見えるにも関わらず、まるで岩のように動じず、まったく動く気配を見せなかった。
「あ……れ? おねーさん、力強いね、あはは……」
「……あのう、あまりそういう強引なのはよくないと……思います」
 女性の左手が、右手を掴む男の手首を掴んだ。男は一瞬それは合意のサインかと思ったが――。
 みし、と音がしたと思うと、女性の腕の筋肉が急激に膨張してゆく。さきほどまでの華奢な腕とはうって変わって、筋肉の黒い塊。そう形容するしかないほどの、力強い左腕。その筋力で、男の手首を掴んだのだ。
「うぎゃ……あああぁぁぁぁっ! やめてくれ、折れちまう、やめてくれぇ!」
 男は手首に走るめきめきという音と激痛に、我を忘れて情けない声をあげる。女性の指は男の手首にぎっちりと食い込み、皮膚はすぐに赤く染まってゆく。
「こ、これに懲りたら、ナンパなんていやらしいことはしないこと。……わ、分かった?」
「ひぎいいいぃぃぃぃぃぃ、分かった、分かったから手を離してくれえぇ!」
 不意に女性がぱっと手を緩めると、男は無様に後ろと倒れて尻餅をつく。そのまま虫のようにしゃかしゃかと後ろへ離れて、
「た、助けてくれぇぇぇぇ!」
 と、情けない声をあげて走り去った。
 女性はその後ろ姿をみながら大きく息を吐くと、サングラスに手をかけて、ゆっくりと外す。それから祈るように右掌を胸の前に出すと、
「……南無阿弥陀仏」
 と、静かに唱えた。口をへの字にきっと結んで、何やら達成感のある表情をしているのは――そう、ネージュである。
「おーい、ネージュ! お待たせぇ!」
「あ、ミル〜」
 遠くから聞こえる幼馴染みの声にころっと笑顔に変わって、走りよってくるミルに手を振り返す。
「おおー、今日のネージュ、超決まってるね。カッコイイ!」
「そ……そう?」
 ミルが言うのにネージュは壁に寄りかかったりしてみて、ポーズを取ってみたりする。もちろん服はミルのアドバイスがふんだんに入っているのだった。
「今日はミルも気合い入ってるよね」
「うん、いちおー男の人来るしね!」
 かくいうミルは、キャミソールに膝上二十センチはある黒色のチェック柄のプリーツスカート。それに薄手のジャケットを羽織って、下はスニーカーに膝上ソックスという格好であった。清楚っぽくまとめながらも元気なアピールもあって、充分に可愛く目立つ姿であった。
「あたしね、今日のテーマはプチロックなの。ほら、このスカートがそれっぽいでしょ?」
「……うん、でもロックなのはスカートだけだよね……?」
 ネージュのツッコミを気にせず、ミルはくるりと回ってみてから腰に手を当ててポーズを決めてみせる。それに長いツインテールとスカートの裾がふわりと揺れて、少女らしい可愛らしさを醸し出していた。
「……そんな動きしてると、またパンツ見えるぞ」
 ちょっと呆れたような顔で立っているのはヴィンセントだ。今日は光沢のある黒いデザインパンツにシンプルなパーカを合わせて、固くなりすぎずスタイリッシュな雰囲気を出している。眼鏡も形状はいつもと同じだったが、さりげなくカラーの入ったレンズがはまっていた。
「あ、おはよーヴィニーたん!」
「お前は……頼むから、人前で“たん“付けで呼ぶのはやめてくれ……」
 笑顔のミルに、呆れたような表情のヴィンセント。ネージュはその光景を見ながら、言葉にできない違和感を感じていた。
(――?)
 何が違うのかが分からない。でも、何かが違う。まるで魚の小骨が喉にひっかかっているような、小さな違和感。
「ん、ネージュも今日は気合い入ってるな……すごく色っぽいじゃないか。ナンパとかされなかったか?」
 不意に話をふられ、ネージュは少し慌ててヴィンセントに目線を向ける。
「あ、ありがとう。ナンパは大丈夫、六人ほど声かけられたけど、全部撃退したから」
「そうか、なら安心だな」
 ヴィンセントはそれにほっとしたような顔で答える。だがそれは、六人ほどの男性が手を握り潰されかけた、という恐ろしい事実であることを、彼はもちろん知らない。
「おお、皆早いな」
 言いながら歩いてくるのはフランチェスコだ。肩にはルイーザを乗せて、のっしのっしと雄大に。今日もラフな格好で、八分丈のミリタリーパンツにタンクトップ、その上にシャツを合わせている。肩のルイーザも前とは違うピンク色の花の蕾のようなワンピースを着て、眠そうな目をこすっていた。
「あ、先生おはようございます! ルイーザちゃんも、おはよー!」
「おはいお……」
 ルイーザは朝早いせいか眠そうで、ぼけーっとしながらそれに答える。それをフランチェスコは微笑みながら見つめていた。
「ねえねえヴィニーたん、今日はセルジュは?」
「ああ、あいつはデートだとさ。ほら、前に実地研修でお前たちのクラスメイトとパーティ組んだだろ、そん時に知り合った子って聞いてるけど。“今日はキメてくるから帰らない“だそうで、モテる男は大変だな」
 ミルが聞くのにヴィンセントは、ため息混じりで答える。
「……不潔」
 それを聞いていたネージュが、ぼそりと太い声で呟く。
「あ、クレアちゃんのことかな? こないだ電話で喋ったけど、“やっとセルジュ先輩がデートしてくれるんですっ!“って喜んでたよ。勝負下着で挑むとか言ってた」
 ミルはそれにあっけらかんと、軽く個人情報を漏洩した。
「まあ、別にお互い合意の上なら別に何でもいいけどね。……そういえば、エーデルやカテリーナは来ないのか?」
「うん。エーデル先輩は先週から山に籠ってる、サバイバルの訓練するんだって」
「え……エーデルシュタイン御姉様は来られないのですか?」
 不意に、二人の後ろから聞きなれた声が割り込んでくる。カテリーナだ。白いブラウスにベストを羽織り、チェックのミニスカートにタイツで、靴はローファーをあわせている。
「わたくし、エーデルシュタイン御姉様が来るというから来ましたのに……」
 そもそも本日の主目的を根本からひっくり返しつつ、カテリーナはまるでこの世の終わりのような暗い表情で呟いた。
「いいじゃんいいじゃん、みんなで映画! たーのしいよーっ!」
 それをまったく気にせず、ミルは相変わらずの能天気発言。それにカテリーナはわざとらしく、大きなため息をつく。
「……いいですわね、下賎の娘は単純で」
「もう、カテりんったら何照れてんの? あたしたち友達じゃない!」
「……はいはい、そうですわね……わざわざこの日のためにビジネススケジュールまで調整いたしましたのに……」
 カテリーナはぐったりとうなだれつつ、投げやりに呟く。
「まあ、これで全員か? 早速映画館に向かうか。すぐそこにある」
 そこでフランチェスコがやんわりと話題を切り替え、一同はぞろぞろと歩き始めた。
 そう、今日は“ソード・ワルツ“を見に行く日なのである。そんなわけでフランチェスコは作者特権でチケットを入手し、人が集まった、というわけだった。
「ほら、着いたぞ」
 フランチェスコの声に一同が見上げる。西地区の大通りから一本入った所に、“シネマグラール“はあった。娯楽の豊富なこの時代においては体験型アミューズメントが主流で、立体ホログラムを使った映像作品は根強い人気はあるが下火になっている。そんなわけで大通りから少し奥まった所に建物があるのだった。
 建物はパルムによくある直線的な五階建てのビルで、二階より上の階が全てシアターになっている。一階の入り口に派手に掲げられた看板を見逃すと、シアターだとは気づかないかもしれない。
「ほえー映画なんて久しぶりだなあ」
「私も前作のソード・ワルツ以来かな……」
 ビルを見上げて、感極まったのかミルが言う。それに応えて、ネージュも呟いた。
「俺は先週も来たけど」
「……ヴィニーたん、ほんと映画好きだよね」
「週に一回メンズデーがあって安く見れるだろ? その時を狙って一気に見るんだ、三〜四本ほど。映画は他人の人生を体感することができる、貴重な娯楽だ」
 何やらこだわりがあるらしい、熱く語るヴィンセントにミルとネージュは曖昧に頷いた。ほっとくと一人でずっと喋っていそうな勢いである。
「ほら、チケットだ」
 手際よく優待券をチケットに交換してきたフランチェスコが、戻ってきてチケットを差し出す。ミルたちはそれを受け取って、ぞろぞろと中へと入って行く。
 一階は広いエントランスが広がっていた。少し落とした照明に、黒と赤をベースとした少し落ち着いた高級感のある雰囲気が広がっていた。右側にはチケット売り場と売店が並び、左にはソファなどが並べられた広いスペースが広がっている。奥には階上へと向かう入り口があり、係員が入場整理を行っていた。
「……開始まであと十五分ってとこか。買い物とかするか?」
 腕時計を見ながら、フランチェスコが言うと、
「あ、あたしジュース買うー。あとポップコーンも!」
「わたくしも、お茶でも買ってきますわ」
「帰りは混むだろうから、今のうちにパンフレット買っとくか」
 ミルとカテリーナ、それにヴィンセントが答えて、売店の方へと歩き出す。ネージュはそれを見送ってから、フランチェスコに目線を向けた。
「先生、今日はありがとうございます」
「ん、ああ。気にしなくていい、むしろ見て貰えるだけで有り難い」
「私、楽しみにしてたんですよ。第一段が結構好評だったので、今回も期待してたんです。……主役の俳優は変わってしまったけど」
 ちなみにその元主役は、クラスメイトとデート中である。
「そうだな、俺も製作は完全にまかせて口出ししてないから、素直に楽しみだ」
「そうなんですか、じゃあ新鮮な気持ちで見れますね」
「ああ」
 フランチェスコが頷いて、視線を場内のあちこちに掲げられたポスターへと移す。素直に楽しみにしているような雰囲気が見てとれた。
「……あ、あの、先生。今日の格好、どうです? 私、お洒落とかあまりしないから……」
 その視線を奪いたくて、ネージュはつい、そんなことを言ってしまう。フランチェスコは一瞬不思議そうな顔をしたが、頭のてっぺんから足元までを見回して、
「……今日、そんなに暑いか?」
 と、ズレた答えを返した。
「……ぁうぅ」
「それに、あまり露出の多い格好をしていると、変な男に声をかけられることもある。校則の第二条にもあるが、午後六時以降は繁華街などには入らずだな……」
(……やぶへびつついた……)
 ネージュは余計なことを言ってしまったのをどっぷりと後悔しながら、ミルたちが戻ってくるのをただ待って堪え忍ぶしかできなかった……。


「ううーっあうぅあ……!」
 おかしな声をあげながら涙をぼろぼろ流しているのはミルだ。映画はちょうどクライマックスで、主人公のティルティが仲間たちと共に、意を決して五人だけで戦うシーンだった。あまりの敵の数の多さに、仲間たちは一人、そしてまた一人と倒れていく。それでも彼らは自分達の信念を貫き通す――という、まさしく泣きのシーンの真っ最中だった。
 そんなわけでミルはハンカチを握りしめながら、ぼろぼろと泣いていたのだ。その右に座るネージュも涙を流していて、反対側に座るヴィンセントとカテリーナも目を細めて切ない顔で見上げている。ネージュの右に座るフランチェスコとルイーザはいつも通りだったが、眉根をきゅっと寄せており、厳しい表情をしていた。
(ねえ……なんでこんなにいい人たちが死ななきゃいけないの!?)
 ミルは不意にヴィンセントの肩をがっしと掴んで、ゆっさゆさと揺らしながら小声で喚く。
(ばか、他の人の迷惑になるから静かにしろよ)
 ヴィンセントはぎょっとしながら、当然のことを言う。
 だが、ミルは涙と鼻水をだらだらと垂れ流しながら、まるで空腹の我慢の限界近い子猫のように、すがるような視線でヴィンセントを見上げてるのだった。
(……)
 さすがにそんな目で見られては、ヴィンセントも邪険にできないと思ったらしい。右手をそっとミルの頭に置いて、優しく撫でてやることにする。
(……大丈夫だ。この後援軍が到着して、形勢は逆転するんだ)
(え、ほんと!? 幸せになるんだ!)
 それにミルはほっとした嬉しそうな顔をして、それから少し不思議そうな顔をする。
(……ていうかヴィニーたん、なんで知ってるの?)
(……!)
 ヴィンセントは、明らかに「しまった」という顔をして、仰け反った。
 そう、映画オタクの彼は、当然のように初日の舞台挨拶目当てに来場しており、本編ももちろん見てしまっていたのだ。
(いやっ、そのっ、さっきパンフ見たからだ、うん)
(そうなんだ? ……でも、ありがとう。慰めてくれて)
 今度はヴィンセントがはっとなる番だった。暗い照明の中で上目使いの潤んだ瞳で見つめるミル。そして、自分はその頭を優しく撫でている。鼻水だらだらなのを差し引いても、目の前にいるミルはとても可愛く見えた。その姿はまるで、地下牢で救出を待っていた姫君が、助け出した勇者様にすがりついたような……もちろんヴィンセントは勇者という柄ではないし、ミルが姫君なんて悪い冗談にしか思えないが。

こちらグラール学園! | 今度はヴィンセントがはっとなる番だった。

(……落ち着いたんなら、静かに続きを見ようぜ)
 ぶっきらぼうに言って、ヴィンセントは視線をステージへ――立体映像のため、スクリーンではない――戻す。その頬は少し赤くなっていたのだが、暗いせいでミルには分からなかった。
(……ちぇ、ヴィニーたんのバカ)
(……バカって言う奴がバカだ)
 肘置きにどっかりと体重を預けて、ヴィンセントは吐き捨てるように言う。
(……)
 ミルはそれをむー、と不満げな目線で見つめていた。


「いっやー、やっばいよ、すっごい泣いちゃった!」
 映画の後、六人は場所をCafe六月館に移し、感想会を始めていた。ミルとネージュは目を赤く腫らせていたし、ヴィンセントとフランチェスコ、それにカテリーナもどこか神妙な雰囲気である。ルイーザのみがいつものマイペースで、オレンジジュースのグラスを掴んで、嬉しそうにストローをくわえていた。
「うん、最後の舞踏会のシーンで王様と主人公が再会するシーン、原作通りすごく荘厳で、背筋がゾクゾクしちゃった……!」
 ネージュもいつになく興奮気味で、腫れた瞳をきらきらと輝かせながら言う。
「ああ、まさかここまで忠実に再現されるとはな。正直、驚いたよ」
「そうですね。既成の幻想作品をベースにしながらも独自の解釈で構築された世界観の作り込みが目を引きました。それに先生の描きたかった心理描写も忠実に再現されていて、それでいて俳優の個性を尊重した素晴らしい演出。全てが圧倒的……と言うにふさわしい作品だったと思います」
 感慨深い様子のフランチェスコに、ヴィンセントも頷きながら答えた。
「ああー、絶対夢に見ちゃうなあ……素敵な舞踏会だった……そして白馬の王子様があたしを迎えに来るの」
「……あまりに下衆な妄想がだだ漏れておりますわよ」
 ミルは感動を反芻しながら、溢れた感情を言葉にするのにカテリーナが横槍を入れる。
「私、ちょっとトイレ行ってくる」
 ふとネージュが立ち上がり、ミルの隣に置いていたカバンからポーチを取り出してもらう。それからぱたぱたとトイレへと向かって歩き出した。
「あっ」
 がつん、と音がしたと思うと、手に感触が伝わることにネージュは気づく。左手に持ったポーチが、通路の端の席のテーブルの上に置いてあったグラスにぶつかって、倒してしまったのだ。
「あっ――す、すいません!」
「べ、別にいいよ」
「そうそう。それよりあなたは大丈夫?」
 トイレのすぐ脇にある席に座っていたのは、濃紺の髪で暗そうな青年と、長い金髪で仮面をつけたキャスト――ウォルターとヘレンであった。
「いえ、その、すいません! 私、弁償しますから――」
「いやぁ、気にしなくていいよ。……君はこれから僕の“ファミリー“になるんだから」
「?」
 ウォルターの声は最後の方が小声になっており、ネージュにはそれが聞き取れなかった。ネージュはそれになんとなく薄気味悪い感触を覚える。
「え、えーと……?」
「い、いやぁ、気にしなくていいよ……ただ、忘れないで欲しいんだ。き、君は、自分のことを知らなさすぎる。君の中に眠るものは、君に解放されることを望んでいる……もっと解放するといい、自分の中に眠る黒い感情を――」
 見上げるウォルターの瞳は、何も無かった。ただ全てを飲み込み、ただ全てを無に返す。その虚ろな目線に、ネージュは心底ぞっとした。目を合わせるだけで、全てが見透かされ、飲み込まれると錯覚した。
「……あ、あの、私はこれで……」
 ネージュは慌てて踵を返して、その場を離れようとする。だが、その腕をヘレンが掴んだ。
「おいで、ネージュ。私はあなたを待っているワケ」
「!? な、なんで私の名前を――」
「ま、まあ、今日はこれぐらいにしておこう。驚かせても悪いしね」
 言いながらウォルターは立ち上がる。それにヘレンは頷いて、続いて席を立った。呆然と立ち尽くすネージュを尻目に、二人はゆっくりと店を出て行く。
「ありゃりゃ、こぼしちゃったの? 服は大丈夫?」
 テーブルを拭いているコノギの声で、ネージュははっと我に返る。
「あ――はい、大丈夫です」
「そっか、じゃあ良かったねっ。……ネージュちゃん、どうしたの? なんだか怖い顔してるよ?」
 それにネージュはまたはっとなって、「い、いえ……」とうつむきながら曖昧な言葉を返す。それからまたコノギに向き直って、
「あの、この席にいた二人……」
「ああ、あの二人? キャストのお姉さんは最近たまに来るかな。確か……ええと、ミルちゃんとネージュちゃんが来た時にも、何度か来てるはずだけど、見覚えない?」
「はい、全然……」
 あまりにもわけの分からないことばかりで、ネージュは完全に沈んでいた。

 ――何故、彼らは私のことを知っていたのだろう?

 “もっと解放するといい、自分の中に眠る黒い感情を――“
 “私はあなたを待っているワケ“

 ――いったい彼らは何が言いたかったのだろう?

 極度の混乱状態に陥って、ネージュはただ立ち尽くしていた。足元がぐるぐると回っている気がする。まるで雲の上にでも立っているような気さえする。
「ネージュちゃん、あとはぼくが片付けておくから」
 コノギは不思議そうな顔でネージュの肩を叩いて、それから背中を軽く押してやる。まるで無重力状態のように、ネージュの体はふらりと漂うかのごく一歩踏み出した。だが、歩みはそこで止まってしまう。
 不思議そうに見つめるコノギを気にせず、ネージュは壁にもたれかかるような格好のまま、立ち尽くしていた。


 やがて日が暮れ始めて、ミルとネージュはニューデイズに降り立った。夏休みなので、二人は今は実家で寝泊まりしているのである。
「ネージュ、大丈夫? 顔色まだ悪いよ」
「ううん、もう大丈夫だから。心配かけてごめんね」
 スペースポートからバス乗り場へと歩きながら、ミルが不安そうに言う声に、ネージュは無理に笑いながら答えた。ミルの表情は今にも泣きそうで、心から心配しているというのが伝わってくる。
 それも当然で、トイレから戻ったネージュは顔色が真っ青で、全員が慌ててしまいネージュを気遣ってすぐに解散となったのだった。
「大丈夫、大丈夫だから、心配しないで」
「でも、なんだかふらついてる。心配するよ!」
「……」
 それに、ネージュの眉が一瞬ぴくりと動いた。

 ……一人になりたい。

 今はミルの心配も、邪魔になるだけ。ただ一人で横になりたい。ただ眠りたい。そんな心境だった。

「あ、そういえば、ヴィンセント先輩と何かあった?」
 なので、ネージュはあえて違う話題を振ることにした。
「え? うん、別に何もないけど……花火大会の後ぐらいから、たまに電話するようになったぐらいかな」
「そうなんだ」
「うんそーなの、ヴィニーったらからかうと面白いんだあ。こないだもさあ……」
 ミルが先日の電話の内容をおもしろおかしく話す。だが、ネージュの耳にはその言葉はまったく入って来てはいなかった。


「それは面倒なことになりましたわね……」
 神妙な顔で呟くのはアナスタシアだ。向かいに座るファビアも、顎に手を当てて困ったような顔で頷いている。
「そうなんです。まさか、そんな重要な素体を長期間放っておいたという現実にも驚かされましたが……」
 二人は今、ミーティングルームにいた。照明のやや暗い室内が、重い空気を助長する。
「逃げ出した素体はいわゆる“プロトタイプ“で、バーバラが世間に公表する前に作られたものでした。プロトタイプであるが故、情報機密能力が高く情報が漏洩した際に自ら行動し、ターゲットの存在を消す――そんな能力を持っています」
 ファビアが端末をみながら言うのに、アナスタシアは大きなため息を返す。嘲笑を含むそれは、限りなく失笑に近いものだった。
「……自ら公衆の面前に姿を表す機能なんて、機密情報も何もありませんわ。それに、そんな機能を持つ素体をメインコンピューターに繋ぎっぱなしで放置していたなんて……太陽系警察のお役所仕事には、怒りを通り越して呆れます」
「まあ、それは確かにそうですが、過ぎたことですし、ね」
 ファビアが慌ててそれをたしなめる。アナスタシアは睨みつけるような視線で、今にもテーブルをひっくり返しそうな勢いだったからだ。
「……まあそうですわね。わたくしとしたことが」
 自らをクールダウンさせるようにそう言って、アナスタシアはゆっくりと息を吐いて、続ける。
「にしても、それならば話は早いですわね。プロトタイプが追っている相手というのは、わたくしたちが追いかけているハッカーというわけでしょう?」
「そういうことです、悪いことばかりではありませんよ」
 その時、コンコンとノックする音が室内に響く。それにファビアが振り向いて、「はい」と事務的に答えた。
「こんばんは、ボクだよー。じゅーよーにんむって聞いて来たんだけど」
「ああ、お待ちしておりましたよ」
 ファビアが席を立って、ドア横にあるコンソールでロックを解除する。すぐに扉が自動で開いて、オルハが中へと入ってきた。
「こんばんは、久しぶりですね、オルハ」
 それにファビアが微笑みながら立ち上がり、右手を差し出す。オルハはそれを握り返して、
「ファビアこそ。たまにはこっちにも遊びに来てよ」
 と、微笑んだ。
「ははっ、そうですね。オラキオでの生活は慣れましたか?」
「まあね、いろいろ面倒臭いけど」
 言ってオルハはファビアの隣の椅子にどっかりと座る。
「――で、久々にボクを呼び出すってことは、よっぽどのこと? んで、極秘任務ってことはもしかして……」
「……ご名答です。“コナンドラム“関連の任務ですわ」
 それにオルハは大袈裟におでこをぴしゃりと叩くと、「あっちゃー」と呟いた。
「こればかりは過去にコナンドラムと関わった者にか頼めませんから。当初はこれほど大きな話になるとは想定していなかったのですが、厳しい任務になることが予測されます。ですので、増員を行っているのです」
「なるほどねー、了解了解」
 あまりに冗談のような話に、オルハはもう笑う以外のリアクションはできないらしく、笑いながら軽く答えた。
 すぐにまたドアをノックする音が聞こえて、ファビアがドアを開けてやる。そこには、四人が立っていた。そう、チームDeo pomumのメンバーである。
「お邪魔いたします」
 エレナを先頭に、シロッソ、ラファエル、そしてアンドリュー。ぞろぞろと入ってきて、手近な席に腰を下ろす。
「ありゃま、また何だか大がかりになってきたなぁ」
 それを見てオルハは苦笑する。だがアナスタシアは冷静なままで、
「何が起きるか分かりませんから。――三年前の事件を、忘れたとは言わせませんわ」
 “コナンドラム事件“のことを差しているのは、全員がすぐに分かる。それもそのはず、今ここに居るメンバーは全員、共にダークファルスと戦った仲間なのだから。
「それで、私たちが呼ばれたわけですね?」
 エレナが真面目な顔で言うのに、アナスタシアは深く頷いた。
「ま、水着コンテストでの宣伝もあまり効果が無かったみたいだし、いいタイミングだな」
 それにシロッソがおどけて言う。
「うむ。これで毎日エレナ様の食事を作るだけの毎日から脱却できそうだ」
「ラ・ファ・エ・ル〜〜〜!」
 叫びながらエレナの拳が放たれる。隣に座るラファエルの顔面に、右のフックが炸裂する。一瞬ラファエルがひるんだ隙に、今度は右のフックを叩き込み、それから左の拳が顎を突き上げた。
「がふ……さすがはエレナ……様……成長しているのはボディだけではありませんな……!」
 そんないつもの寸劇を見守ってから、
「で、俺たちは具体的にどう動けばいいの?」
 と、アンドリューが聞いた。
「はい、作戦の陣頭指揮は全てわたくしがとります。まずは、逃げたプロトタイプを早急に捕獲し、同時にハッカーに対しても調査を進めます。エレナたちDeo pomumは教団を初めとする団体関連を調査、もちろんサイバー的観点からの情報収集も進めてください。ファビアはオルハと実地調査。エレナたちからの情報を元に、調査を行ってください」
 簡潔にまとめるアナスタシアの声に、全員が神妙な顔で頷く。
「ファビア、そちらにはもう一人人員をつけます。コナンドラムをよく知る人物ですので、任務遂行に役立ってくれるでしょう」
こちらグラール学園! | アナスタシアが言うと、タイミングよくノックが聞こえる。ドアが開いて入ってきたのは、一人のキャスト女性だった。

 アナスタシアが言うと、タイミングよくノックが聞こえる。ドアが開いて入ってきたのは、一人のキャスト女性だった。
 灰色の髪を後頭部でポニーテールにまとめ、耳と額にはキャストであることを示すアンテナが覗く。腕は肩から露出しており、腰にはスカート状のホバーが装着されていた。そのスレンダーなボディと、目尻の少し上がった切れ長の瞳が彼女にスタイリッシュな印象を与えている。
「これは……シノ殿! ガーディアンズになっていたとは聞いていたが……!」
 それにラファエルは素直に驚きの声をあげた。
「これは久しい顔ばかりだな。……心配するな、今の私はオペレーションシステムもガーディアンズオリジナルのものとなり、完全にガーディアンズの一員となって活動している。……さて、私が呼ばれた理由は聞いている。私のメインメモリには、コナンドラムで入手した情報が多数残っているから、これらを有効に使い調査を進める」
「そういうことです。……それでは、検討を祈ります。必ず悪しき過去を払拭いたしましょう」
 アナスタシアが言うのに、全員が深く頷いた。

 

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