学園生活恋せよ乙女っv ガーディアンズは大・変・だっ!

小説・ファンタシースターユニバース Episode2 こちらグラール学園! 1年B組ガーディアンズ科

7th universe 任務、始めました(3)

「……どうしよう」
 ネージュはミルの隣を歩きながら、学校を出てすでに十七回目の“どうしよう“を呟いた。
「あはは、大丈夫だよ。ちゃんと購買部でいろいろ買ってきたじゃん!」
 ミルはそれに十七回目の相変わらずアバウトな返事を返して、二人は歩き続けていた。

 ここは、惑星ニューデイズ。
 ニューマンが統治するこの星は、グラール教団の本拠地である“星空殿“が建てられ、ホーリーシンボルとして崇められるオウトク山がある。大河の周囲に作られた首都、オウトク・シティは今日もたくさんの人で溢れかえっていた。
「だからさ、ネージュは考えすぎだって」
「だって……ミルは怖くないの?」
 あっけらかんと言うミルに、ネージュは涙目の視線を向ける。耳はすっかりへたりこんでしまい、完全にネガティブモードに突入していた。放っておくとそのうち確率変動を起こして、ボーナスゲームであるガッポ・ガッポに突入しかねない。
「うーん……」
 ミルは人差し指を顎に当てて少し考える素振りを見せて、
「……正直、よく分かんないなあ」
 と、答えになっていない言葉を返した。
「分かんないことはいくら考えても分かるハズないんだから、考えるだけ無駄だって。ホラ、バスが出ちゃうよ」
 言いながらネージュの手を取って、ミルは小走りに走り出す。もう片方の手をバスに向かってぶんぶんと振って、ネージュを強引に引っ張った。

 二人は今、実家に戻っている最中であった。

 元々週末は定期的に戻っていたので、たまたま今週がその日だったのである。学園寮は事前に申請を出しておけば、外泊にも特別うるさくはなかった。
(でも……本当に大丈夫なのかな……)
 だが、言葉にできない漠然とした不安だけが、ネージュの足取りを重くさせていたのだった……。


「あらー! よく来たね、ネージュちゃん!」
 ウジェーヌ家の玄関口で遠くまでよく通る声で言うのは、ミルの母親であるポーラ=ウジェーヌ。ダークオリーブの髪色と丸っこい瞳で、元気の塊のような笑顔が親子なのだと思わせる。
 唯一違うのは、体格。ポーラはでっぷりと太っており、腰に使い古されたエプロンを巻いている。それが“食堂のおばちゃん“を嫌でも連想させ、見ているとこちらもつい顔がほころんでしまうのだった。
「やっほー! ネージュ!」
 今度は奥からミルが現れて、ぶんぶんと手を振りながら廊下を走ってくる。自宅なので私服に着替えており、前で閉じるジャケットを羽織っていた。裾にスカートのようなフリルがあしらっており、その下にはショートパンツと膝上のタイツ。彼女らしい、活発でありながら可愛らしさを感じさせる服装だった。
「……やっぱり親子なんだね」
 玄関先で繰り広げられる親子元気比べに若干引きながら、ネージュは苦笑しつつ呟いた。
 ちなみにネージュも一度家で着替えてきたため、私服に着替えている。上にはモトゥブ製の濃赤をベースに青系のラインが入ったジャケットをまるでロングコートのように羽織り、下は斜めに赤いラインが入ったミニのタイトスカート。先日ミルに買わされ……いや、一緒に買ったものだ。そしてその下には、太股までをしっかりと覆う厚手の黒いブーツ。実はこのブーツもミルに選んでもらったもので、上着だけがネージュ本人の趣味ということになる。
 余談ではあるが、ミル本人も着ているようなミニスカートに膝上のソックスを合わせて太股をチラ見せするのが、ミルの中でマイブームらしい。そのスタイルはごく一部で“絶対領域“と呼ばれることを、ミル本人はもちろん知らない。
「ケホッ……ああ、どうも久しぶりだねえ……」
 ネージュの横で咳込みながら弱々しく言うのは、ネージュの母親であるイザボー=ブリュショルリーである。恰幅のあるポーラとは正反対で、落ち窪んだ眼窩に痩せこけた頬、かさついた髪と血色の悪い肌が、彼女をとても不健康に見せていた。
「あらブリュショルリーさん、遠慮しないでいいのよ。ささ、二人とも早くあがって。ご飯の準備ができてるわ」
 ポーラがにこやかに明るく言うと、ミルが
「今日はあたしも手伝ったんだ!」
 と、元気に言った。
「こら、ミル。あんたはジャガイモの皮を剥いただけでしょ。それじゃ手伝ったことには入らないわ」
「えー。フォークとスプーンで砕いたじゃん! それに、ドレッシングと混ぜたし!」
「はいはい、そうだね、ミルは頑張ったね〜」
 わざとおどけて言うポーラに、ミルは口を尖らせてぶーぶーと大袈裟に拗ねてみせた。
「……ん? ネージュ、どうしたの?」
 ふとミルが振り返ると、その光景をネージュが唖然として見上げていた。例えるならば、ステージ上で行われているライブが想像以上に素晴らしく声すら出なくなった、そんな様子である。
「……あ、うん。あまりの勢いに圧倒されてた」
 ネージュはぽかんと口を開けたまま、呟くようにそう答えた。
(……ミル一人でも手に余るのに、そのミルを軽くあしらう上手がもう一人……)
 もう、ネージュは様々な覚悟を完了せざるを得なかった。きっと、二人は笑いながらネージュを両脇から抱えて、猛スピードで走り回って飛び回り、それにネージュはぼろ雑巾になるまで乱暴に引き摺りまわされるに違いないのだ……。
 そんなやりとりをしているうちに、ダイニングキッチンへと着く。内装は、よくあるフローリングに白い壁。十五年前に建て売りで販売された分譲住宅の一戸建てで、決して豪勢な建物ではない。ついでに言うならば、ここいら一帯は全て同じ建物。つまり、ブリュショルリー家も同じ建物なのである。
(けど……)
 ネージュはゆっくりと息を吐いて、眉をひそめて少しうつむいて。
 すっかり考え込んだ顔をして。

(ここは笑いが絶えないのは、何故なんだろうか――)

「おー、ネージュちゃんにイザボーさん。こんばんは」
 ダイニングキッチンに入ると、ダイニングテーブルに座って読んでいた電子式ニュースペーパーから、一人の男性が視線を上げる。ミルの父親、フェディールだ。ニューマンらしく体格には恵まれておらず、細い体躯に丸いレンズの眼鏡、それに丁寧に短く整えられた焦茶色の髪が真面目そうな印象を受ける。
「こんばんは、おじさん。お邪魔します」
「ああ、いいよいいよ気を使わなくて。ネージュちゃんはうちの二人目の娘だから」
 なんて、フェディールもおどけて言ってみせる。年配らしい気遣いが、ネージュには心地良かった。
「あらやだ、私の知らない間にどこで何をしていたのかしら?」
 それにポーラも便乗して、キッチンから冗談めかした大声が飛んできた。
「おいおい、冗談はやめてくれよ。俺は浮気なんかできるほど、お小遣いをもらっていないぞ?」

こちらグラール学園! | 一瞬にして、暖かい雰囲気が辺りを包み込んでいった。
 フェディールのすっとぼけた声に、ミルを先頭に皆が笑い出す。一瞬にして、暖かい雰囲気が辺りを包み込んでいった。

「あらやだ……私の好みは考えてくれないのかしら……?」

 不意に聞こえる声に、一同がしんとなった。

 イザボーが、言った言葉に。

 それにネージュはぎょっとなって、
「ちょ、ちょっと、母さん!」
 と、慌てて飛び付いた。イザボーは何故ネージュが慌てているのか分からず、首を傾げて見つめ返している。
「ああ、いや、そういう意味じゃないんですよ、イザボーさん」
 この空気を真っ先に察したのはフェディールだった。滑稽なほど両手を目の前でばたばたと振って、機関銃のようにまくしたて始める。
「いやはや、イザボーさんのことをどうこう言ってるわけじゃないんですよ。お宅のネージュちゃんを、それほど可愛がってるってことですよ!」
「……そうなの?」
 イザボーはその言葉に、ネージュの方を振り向きながら、フェディールを指差して、失礼なほど怪訝そうに言う。
「……うん、そうだよ。だから母さん、落ち着いて。せっかくご飯をご馳走になるんだから、楽しく食べよう?」
「ああ、そうだねえ。今日は久々にまともな食事ができるねえ」
「母さん!」
 イザボーの傍若無人ぶりに、ネージュが珍しく声を荒げる。
「はいはい、怖いねえ。くわばらくわばら……」
 ぶつぶつと呟きながらイザボーが言って、椅子へと腰かける。場にほっとしたような空気が流れて、食事が行われた。
 だが、ネージュはイザボーのことが気になるし、ウジェーヌ家の面々にも気を使わせっぱなしで、味など全然分からなかったのだった……。


 ――わたくしは、翼を失ってしまったのです。

 わたくしたちキャストは、プログラムによって形成された人格と、データベースに記録された記憶、それらを統合して管理するオペレーションシステムによって“造られた“存在なのです。

 そんなわたくしですが、手を引き空へと導いてくれると信じさせてくれた相手が居ました。
 素直に彼の手を握り返して、前向きに彼の背中を見つめて。
 わたくしはそこに自分の存在意義を認め始めていました。

 ですが――。


 “――彼はもう、この世には存在しないのです――“


「こんばんは、アナスタシア。今日も遅いのね」
 不意に入り口の自動ドアが開いて、柔らかい女性の声が飛び込んできた。入ってきたのは白をベースに青い袖のパルム製ジャケット”スマーティアアッパー”を羽織り、スタイリッシュな細身のパンツである”ファニエスパンツ”に身を包んだ、一人のヒューマン女性だった。起伏には乏しいがふっくらとしており優しい表情を湛えた女性は、赤い縁のスクエア眼鏡をかけ、濃緑の長い髪を後頭部でポニーテールに結わえていた。
「ええ、書類の整理がまだ終わっておりませんで……。アルファ先生こそ、こんな遅い時間にどうしたんです?」
 デスクに座っていたアナスタシアははっとなって、書類に奪われていた視線を上げながら答えた。
 彼女は成人女性にしては小さく、身長は百四十センチぐらいだろうか。小さく可愛らしい顔に木の実のようにぱっちりとした大きな瞳と小さくぷっくらとした唇で、低めの鼻が全体の起伏を平坦に見せる。可愛らしい中に気品と厳格さを感じさせており、銀の前髪を軽く垂らして、耳の下ほどで揃えられたショートヘアが彼女にどこか現実界を超越した雰囲気を与えていた。
 体には”ノーノシュヴァンツ”と呼ばれる柔らかなボディパーツを身につけており、レオタードのような服が緩やかなボディラインを表現している。腕や足には甲のような大きなパーツが取り付けられ、腰にはいくつものくさび状のパーツがスカートのように飛び出しており、それが全体のシルエットにアクセントを加えていた。
「明日の任務のことでちょっと打ち合わせをしておいた方がいいと思って、ね。後で実地訓練を担当する二人にも寄ってもらうよう言ってあるわ」
 アルファはデスクに近寄って、角に軽く腰かけようとする。それにアナスタシアは気づき、大量に積まれた書類やデータカードをずらして、場所を作ってやった。
「あら、先生はよほど仕事が大好きなのですね」
「ええ、そうよ。睡眠時間があまり必要ない機械の体がうらやましい」
 微笑みながら皮肉めいたことを言うアナスタシアに、アルファも同じように返してやる。それから二人は小さく声をあげて、少し笑った。
「……最近はガーディアンズの任務だけでなく、コルトバンの方も忙しくて。本当に、なんで人気出ちゃったのかしら、あれ……」
 “甲獣戦隊コルトバン“とは、パルムに生息する豚のような四足生物である原生生物“コルトバ“をモチーフにした古くからある特撮ヒーローものだ。このグラールチャンネルの人気番組の製作に、アルファは三年ほど前から幅広い生物知識を活かして監修として参加しているのである。
 長期シリーズのせいか最近また人気が出始めており、関連するキャラクターグッズの監修業務が多忙を極めている。特に、コルトバンの戦闘スーツを模した“コルトバンスーツ“は大ヒット商品で、ガーディアンズ・コロニーの住人一人あたり八着持っている計算になるとか、ならないとか……とにかく、そんな状況も彼女の多忙さを手伝っていた。

「――まあ冗談はさておき、明日の実地研修のことで少し話したいのだけど、構わないかしら?」
 それにアナスタシアは、アルファに右手を差し出し、“どうぞ“と言わんばかりに促した。
「ありがとう。まずは作戦区域についてなんだけど」
 アルファが一枚のガラスのようなものを取り出して、画面を指で叩く。すぐにコンピューターグラフィックで描かれた、ホルテス・シティを中心としたパルム全域の地図が映し出された。

 その映像には明らかに不審な点が存在する。
 地図のほぼ中央に、直径数百キロはある大きなクレーターができていたのだ。

「ここが、ガーディアンズ・コロニーの外周が落下した、“旧ローゼノム・シティ“ですわね……」
 アナスタシアは画面を覗きこみながら、静かに呟いた。

 ――SEED事変で起こったコロニーへの総攻撃は、あまりにも激しかった。

 ガーディアンズ・コロニーは惑星パルムの静止軌道上に存在しているのだが、凄まじい攻撃の損傷で軌道がずれ、危うくパルムへと墜落しかけてしまった。一部の非居住ブロックを切り離すことで質量を減らして、パルムの引力から逃れることでコロニーは無事だったが、巨大なブロックの墜落により星には大きな傷跡が残っていたのだった。
 非居住ブロックが落下したのは、学究都市ローゼノム・シティ。GRM社のお膝元で研究を続けていた都市は、一瞬にして廃墟となった。そんなわけで現在は“旧“ローゼノム・シティと呼ばれるようになっているのだ。
 落下から三年以上が経った今でも調査隊が定期的に訪れており、コロニー落下が星にどのような影響を与えたのか、地質や生態系の調査は続いている。
「旧ローゼノム・シティ内での、モンスターの生息状況はどうなっていますの?」
「ええ、それほど深刻ではないんだけど、“グラスアサッシン“が大きな縄張りをあちこちに形成しているのは相変わらず」
 アルファが画面を叩くと、地図にいくつかの赤い円形の点が表示される。それから続けて別窓が開き、カマキリのような大きな前足を持つモンスターの映像が表示された。
 グラスアサッシン――その名の通り元々は草原に生息していたらしいモンスターだが、コロニー落下以降から旧ローゼノム・シティで見かけられるようになった狂暴な原生生物だ。
 細身の上体に大きな腹部があり、胴体からはそれを支える甲殻に包まれた足が四本生えている。頭部は正面から見ると上を頂点とした三角形に近く、三つの複眼らしきものがあり、角のような形状が後部へとつき出していた。縄張り意識が強く、それを侵した者を前足の巨大な鎌で一瞬にして仕留めるという。
 また、グラスアサッシンは全長五メートルほどもあるのだが、実は十センチほどの個体が多数集まり、この巨大な姿を形成している。運良く打ち倒すことができれば、結合をほどいて逃げ去る様を目撃することができるだろう。
「問題なのは、SEED事変以降、ちらほらと影響を受けた新種の生物が確認され始めていることなのよね。最近この辺で目撃されたのは、“アスターク“と呼ばれるモンスター。発達した両腕で目標を叩き潰す凶悪なモンスターよ」
 今度は地図に赤いバツがいくつか表示され、目撃報告のあった箇所を指し示す。横のウィンドウには巨大な両腕のモンスターが写し出されていた。
 アスタークは黄金色の甲殻を持ち、やや前傾気味の上体は蛇腹のような形状をしている。地面に届くほどの大きな両腕を持ち、跳躍で距離を縮め、目標を圧倒的な腕力で叩き潰すのである。しかも動く者全てに襲いかかるというのだから、タチの悪いことこの上ない。
「被害者は?」
「幸いにもまだ出ていないみたい。狂暴なんだけど知能が低いのが幸いね。何体かサンプルが採れて研究も進んでるから、それほどの脅威は無いわね」
「比較的安全なのは解りました、ですが……」
 アナスタシアは二の句を繋げない。奥歯に小骨が刺さったような物言いに、アルファはゆっくりと息を吐いてから、ためらいがちに言葉を発することにする。
「――三年前のこと?」
「……」
 それにアナスタシアはハッとなって、思わず振り向いた。精巧に造られた瞳孔の奥には、複雑な感情が顔を覗かせている。それからまた視線を落として、うつむいたまま口を開いた。
「ええ……“コナンドラム事件“。今でも動画データを再生するたびに思い出します。わたくしには彼らを助けることができなかった。護ることができなかった」
 アナスタシアはこの任務で、陣頭指揮を担当していた。アルファも情報収集を主に担当し、アナスタシアを補助していたのである。

 “もし、もっと安全な指揮が執れていれば――“

 “もし、もっと合理的な計画が――“

 “もし――“

「――過ぎたことを悔やんでも、辛いだけよ」
 アルファとしては、そうとでも言うしかない。責任の一端が自分にもある以上、当たり障りの無い言葉を発するしか無いのだ。
「ですが……ヴァルキリー、ウィンド、ネイ、それに……ランディ。優秀な仲間を何人も失ってしまいました。幸いにもネイはクローン再生できましたが、他の三人は今もまだ――」
 言うアナスタシアの悲痛な表情に、アルファは何も答えられなかった。なんと言ってやればいいか解らない。
「ウィンド……」
 だからアルファは、まるでその単語を呟くことで何か変わると思っているかのように、神妙な顔つきで呟いた。
 ウィンドとは機動警護部所属のヒューマン男性で、アルファが非常に気にかけていた教え子の一人だった。彼はコナンドラム事件でヴァルキリーと共に任務に就くようになり、彼女を慕うようになった。そして殉職した彼女を生き返らせるためにガーディアンズを裏切り、コナンドラムに協力したこともある。
 だが最後はアルファの必死の説得に心を取り戻し、信用を取り戻すために多数のモンスターの前に一人立ちはだかり――。

 ――殉職した。

 あの時、無理にでも彼を連れ帰れば良かったのだろうか。
 いや、彼は自分のプライドを守るために戦ったのだ。
 それを一体誰が否定できるのか?

(でも――)

 ふと、アルファはアナスタシアを振り返る。
 そう、アナスタシアも同じように大切なものを失っている。

 アナスタシアは戦いの中で、恋人である"ランディ"というビースト男性を、目の前で失ってしまっていた。皮肉にも、動けなくなったランディからアナスタシアを引き剥がし、無理矢理連れ帰ったのはアルファ本人だったということもまた、複雑な遺恨を残していた。

(ランディ……)

 アナスタシアの電子頭脳は、今でもまるで昨日のことのように鮮明な記憶を再生できる。

 骨ばった男らしい顎に触れた時の、髭の剃り後のわずかなざらつき。
 自分の頬をそっと包む、大きな掌のがさつく太い指。
 近づいてくる顔には真剣な想いの灯る力強い瞳。

 やがて、そっと唇が触れて。

 彼の大きな下唇に、少し強めに前歯を当てて。
 差し込まれる舌を優しく受け入れて。
 ビーストらしく発達した犬歯を撫で回して。


 ――その悠久と思えた至福の時間は、二度と戻らない。


 今もランディは、落下したコロニーの中に眠っているはずだ。
 ウィンドとヴァルキリーと共に、パルムの大地に堕ちたコロニーの中で――。

 そんな重苦しい空気の中、不意に自動ドアが開いて二人は我に返ったように振り向く。
「こんばーん♪」
「こんばんはー」
 姿を現したのはオルハと、一人のニューマン女性だった。オルハは露出した鎖骨とへそのキュートな袖広の上着である“ストーリアジャケット“に、折り目の整ったプリーツスカートと鋭角的なブーツの“ハナウラボトム“に身を包んでいる。
こちらグラール学園! | 姿を現したのはオルハと、一人のニューマン女性だった。

「――あ、あら、皆さん。遅くまでお疲れ様です」
 動揺を少しでも隠そうとして、アナスタシアは思わず立ち上がりながら言う。余計な力が入りすぎてしまい、押し出された椅子が壁にぶつかって、がつん、と大きな音を立てた。
「おつかれさまー。明日の準備、やっと終わったよ。ま、ボクとイチコが同行するんだし、大船に乗ったつもりで安心してて」
 オルハは健康的な明るい笑顔を見せながら、隣に立つイチコの肩をぽんぽん、と叩いた。
 イチコは黒髪を肩口でショートに切り揃え、頭には白いベレー帽を被っている。実直そうな丸い瞳とふっくらとした頬の小顔で、オルハとはまた違う可愛らしさを見せていた。上着には赤をベースとして裾にフリルをあしらった“プリティアワンピース“という上着を羽織り、大きなバックルのベルトに健康的な“ゴジゴッジショートパンツ“というホットパンツで、健康的な印象を与える。
「そうそう。私とオルハの最強タッグにかなうものなし!」
 言ってイチコが両手を広げてポーズを決めると、オルハも倣って同じポーズを取る。まるで打ち合わせでもしていたかのような完璧な動きに、アナスタシアとアルファは思わず顔がほころんでしまう。
「にしても、先生もアナスタシアも真面目な顔をして、一体どうしたの?」
 不意にイチコが空気を読んで、不思議そうに言う。それにアナスタシアとアルファはお互いに顔を見合わせてから、少し困ったような表情でまた向き直った。
「……いえ、ちょっとあの恐ろしいことを思い出していたのです。多数の殉職者を出したあの戦いを……」
 アナスタシアが言うと、また場がしんとなった。重苦しい空気だけが場を支配し、誰もがそれに飲み込まれてしまっていた。
「……ボクもさ、たまにヴァルのことを思い出すよ。ヴァルが服を見立ててくれた時のこと、一緒に入院してた時のこと……」
 オルハが呟く。誰に言うまでもなく、ヴァルキリーと共に過ごした日々を回想しながら。
「……わたくしは、"自然に忘れる"ことができません。今でもついこの間のことのように、あの日のことを思い出してしまいますわ」
 アナスタシアが呟くように言った。キャストの視覚情報はビデオカメラで撮影したのと同じ精度で記録し再生することができるのだ。本人が意図的に削除しない限り、その映像はいつまでも高画質の映像として保存され続けている――。
「……いいじゃん、ずっとランディのことを思い出し続けられるんだから」
 小さく口を尖らせて、静かにオルハが呟いた。アナスタシアに向けたものだろうが、そちらを見るわけでもなく向くわけでもなく。ただうつむいたままで、ただ静かに、言った。その言葉にアナスタシアは弾かれたように視線を向け、目を見開いたままで見つめている。
「まあまあ、思い出せる方が辛いこともあるのよ」
 その空気に気づいたのか、アルファが口を開いた。オルハはランディと付き合いが長く、彼女も彼を慕っていたことを知っていたからだ。
「――まあ、明日の話をしましょうね。作戦区域は旧ローゼノム・シティの“H-00“から“H-10“までの十エリア。作戦区域内にインヘルト社の研究施設があるから、それには注意して。正式に公表されていないけど、“亜空間航行理論“の研究施設で重要な研究をしているの。もちろんガーディアンズもスポンサーだから、なおさらね」
 アルファはあえて空気を読まず一気に言い切って、誰かが口を開くのを待つ。それに応じて、不思議そうな顔でオルハが口を開いた。
「亜空間航行理論?」
「そう。最近、資源の枯渇があちこちで騒がれているでしょう。三惑星の政府は大々的な移民計画を考えているらしくて、その研究よ」
「へぇー」
 アルファの説明はオルハとイチコには難しかったらしく、二人は首を傾げて答える。想定内だったとはいえ、案の定の結果にアルファは曖昧に苦笑した。
「ま、いいや。で、モンスターもほとんど居ないし安全性は高いんでしょ?」
「もちろん、そうでなくちゃ星グラール学園の生徒さんを参加させられないわ。とにかく明日は、生徒さんを守ることに尽力してね。グラスアサッシンとアスタークの縄張りや生態情報は端末に送るから、活用して」
「はーい」
「はーい」
 アルファの説明にオルハとイチコは元気良く答える。悪く言えば緊張感を感じない声だったが、いつも通りであることにアルファは安心を覚えた。
「――にしても、本当に大丈夫なのでしょうか?」
 ふと、アナスタシアが考え込むような口調で呟いた。誰かに向けて言ったのではなく、明らかに独りごちただけという印象だが、それにオルハが眉根を寄せる。
「あのさぁ、確かに見習いを連れての実戦はボクも心配だけど。現役ガーディアンズと学園の三年生も同行するでしょ? そうそう問題はおこらないとボクは思うんだけど」
「確かにそれはその通りで、調査結果も安全だと報告を受けてはいます。ですが――危険性は限りなくゼロに近づけたい、というのが指揮官側の見解ですわ」
 オルハの説明にアナスタシアは冷静に答える。可能な限りリスクを減少したいと思っての発言だ。
「あ・の・ねぇ。三年間の間に何度も調査隊が入ってて、危険度は低いって結果が出てるでしょ? 放射線などの有害物質の影響も無いらしいし、難民キャンプも落ち着いてるらしいし。心配しすぎじゃないの?」
「……ですわよね」
 オルハが言う言葉に、アナスタシアが少しうつむいて静かに答える。その呟くような答えは、まるで自分に言い聞かせようとしているかのように聞こえた。
「詳しくは知らないけど、英雄と呼ばれたガーディアンの妹とか、武器開発部の偉い人も過去に調査報告書出してるんでしょ? そんなに難しく考えなくていいとボクは思うんだけど」
「……」
 オルハが少し呆れたような、苛ついたような声で言うのだが、アナスタシアはそれに答えられない。
「まあまあ、オルハ。アナスタシアはみんなのことが心配なのよ」
 代わりにアルファが母親のような優しい口調で言って、一歩あゆみ出た。親しげにオルハの肩に両腕を置いて、ゆっくりといつもの口調で続ける。
「オルハ、あなただって家族の居る身なんだから。事故は少ない方がいいでしょう? あなたに何かあったら、旦那さんと可愛い息子さんが悲しむわ」
「うっ……」
 今度はオルハが絶句する番だ。それにアルファは満足気に微笑んで、
「ささ、明日は早いんだから、今日はもう解散にして英気を養いましょう? アナスタシア、いいわよね?」
 と、振り返りながら言う。
「……はい、もちろんです。それでは明日、他のガーディアンとの連携、ならびに星グラール学園の生徒さんの指導、どうかよろしくお願いします」
 まるで眠りから覚めたように顔を上げて、アナスタシアは静かに言う。それにオルハとイチコは元気良く答えて、部屋を後にした。アルファはその背中を見つめながら“まったくもう“とでも言わんばかりに優しく息を吐いて、微笑みながら見送った。


 ――地に堕ちたわたくしは、もう二度とあの永遠に広がる宇宙(ユニバース)を飛ぶことはできない。

 空を飛ぶ鳥たちを地上から見上げて、風だけが知っている行方を見守るしか選択肢が無い。

 でも。
 だからこそ。

 このグラールに生きる者たち全て、誰しもが星霊の加護の元、平和に健やかに育って欲しい。新しい時代を作って欲しい。

 それだけが、わたくしの望みなのです――。


「本当にごめん」
 ネージュは食事会の後にイザボーを家に送り、改めてミルの部屋に遊びに来た。部屋に入っての第一声は、そんな謝罪の声であった。
「え? 何が?」
 それにミルが相変わらずのすっとぼけた答えを返す。母親譲りの空気の読めなさを再認識した今、ネージュにとって想定内の範疇である。
「だから、ママが変なことばっかり言ってて……」
「そう? どこが?」
「……」
 ミルが人差し指でぽりぽりと頬を掻きながらさらにとぼけた答えを返すと、ネージュは次の句を継げなかった。
(まあ言いたいことは分かるけど、別に気にしてないしな〜)
 ミルはそんなことを考えながらも、無意識的にそれを押さえ込んでいた。
 なにせ物心ついた時からネージュとイザボーを知っているのだ。今更何があってもそうそう驚かないし、イザボーが変わったヒトであることも十二分に理解しているつもりだったのだ。
(ま、いいや)
 だからなおさら、この話題を続けることは無意味に思っていた。なのでミルはいつものように口を開いて、明るい声を発する。
「あ、そういえばさ。明日の準備、何したらいいんだろ?」
 ネージュはそれに一瞬驚いたような顔を上げてから、いつものように静かに話し始めた。
「分かんない……とりあえず、おかんの勧めるものは全部買ったけど……」
 言ってネージュは、放課後に購買部に寄ったことを思い出していた。モノメイトとアンチメイト、それにスケープドール。単なる治療具にしか過ぎないのかもしれないが、少しぐらいのトラブルなどなんとかなるという安心感をネージュに与えていた。
「ネージュは真面目だよね。あたしなんて何も用意してないのに」
「……それ、声を大にして言うことじゃないと思う」
「だって、分かんなかったんだもん」
 ミルはいつものように微笑んで小さな舌をちろりと出しつつ、お茶目な仕草をしてみせる。ネージュもそれにつられて微笑むが、不安がどこか不自然で違和感のある微笑みにさせた。
「まあ、なんとかなるよ! 危なくなっても、引率のガーディアンがなんとかしてくれるだろうし」
「そうだよね……私たち、ただの素人だし」
「そうそう。全然大したことないって!」
 ミルは細かいことを気にせずけらけらと笑って、ネージュもそれに微笑み返す。まあ確かにミルの言うことも一理あって、ネージュはいつも考えすぎるのが悪い癖だ。
「そうだね……じゃあ、今日はゆっくり休んで、明日も頑張ろう」
 行ってネージュが腰を上げると、ミルも立ち上がる。それから二人は玄関へ向かい、ミルだけでなくウジェーヌ家全員の笑顔に見送られながら、ネージュは家へと戻ったのだった。

(ネージュ、大丈夫かなあ)
 ぱたん、と閉まるドアを見つめながら、ミルは漠然とそう考えていた。

 不安、じゃない。
 心配なのだ。

 ネージュはいつも考えすぎるし、悩みすぎるし、ネガティブになりがち。深く考えることは大切だけど、マイナスの思考は本人のモチベーションを低下させる。ミルは経験則的にそれを理解し実践しているので、なおさら心配なのだった。
「――まあ、考えてもしょーがないかっ」
 ミルは独りごちてから大きな欠伸をすると、ダイニングを通りすぎて洗面所へ向かう。ヘアバンドをつけて前髪を上げると、蛇口から溢れ出る白いフォトンの流れを手ですくって、顔に当てた。

(――)

 ふと、鏡の中の自分と目が合った。

 ――なんだか今一つ、実感が湧かない。

 明日はついに実地訓練で任務に就くのだけど、どうにも現実感がない。ガーディアンズたちが剣を振るいテクニックが飛び交うことなんて、ずっとテレビの中だけの出来事だと思っていた。自分がその舞台に立つ機会がこんなに早く来るなんて、まったく思ってもいなかったのだ。

(まあ、やるっきゃないけど)
 素直なのか諦めが早いのか、とにかくミルはそう結論づけた。いつものように化粧水を手に取ると、その頬に軽く吹き付ける。
「逆に考えよう。あたし、初めての任務で大活躍しちゃって、みんなからすっごい誉められたりして……いひひ」
 いたずらを考えているような無邪気な少女の顔になって、ミルは独りごちる。頭の中にはいつか見た、イケメンヒーローがSEEDモンスターをばしばし打ち倒す映画の世界が広がっている。
「……うん、そういうのも、いいかも♪」
 そう納得してタオルに手を伸ばすと、ご機嫌そうに顔を拭いて。
「パパ、ママ! あたし寝るから!」
 と、ダイニングの前を通り過ぎながら、くつろぐフェディールとポーラに声をかける。
「はいはいおやすみ〜」
「ゆっくり休むんだよ」
「おやすみなさーい!」
 大袈裟に手を振ってから、ミルは二階の自室へ鼻唄を歌いながら戻って。パジャマに着替えるとベッドに横になる。
「ようし、明日も頑張ろうっと……むにゃむにゃ……」
 それからすぐに、ミルは深い眠りの世界へと誘われていった――。

 

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